夫に優しくなれた日

それは昨日訪れました。

夫が娘と将棋をさしてたとき、私は横で見ていました。

そのとき、夫の顔をじっと見てみたのです。

おでこや目じりにしわがある。

白髪ある。

少し頭頂部がさみしくなってきている。

「年を取ったなぁ」

そのとき、人生を懸命に生きている一人の人間としての夫を感じました。

私と結婚してよかったことも悪かったこともあるだろうに、今こうしてここにいて、娘と遊んでくれている夫に、じーんとしてしまったのです。

何かわからないけど「一緒にいてくれてありがとう」と思えたのです。

これまで私に憑いていたものが取れた感じがしました。

結婚直後から病気になり、その後も勝手に仕事を辞めてきて、経済的にはまったく頼れなかった夫に対し、私はどこかで「幸せ(=安全に暮らす)にしてくれなかった」という責めの気持ちをもっていたのです。まわりの旦那さんを見たら、しっかり働いている人ばかり。退職金もあるだろうなぁ、厚生年金も積み上げて老後はまあまあ安定しているだろうなと思うと、そうではない夫に対し、腹立たしい気持ちをもっていたのだと思います。(だから自分ががむしゃらに働いてきたんです)

でも今、私が仕事をせずに一日ゆったり過ごせているのは、少なくとも夫が仕事をしてくれているからです。貯金が減るなぁとか多少の焦りはありますが、是が非でも仕事をしなくては!と思わなくていいのは、これまで貯金していたことと、夫が仕事をしていることのおかげです。もし私が一人だったら、そうは言っていられません。仕事を辞めるときはしっかり次の仕事を見つけて辞め、収入を途切れさせてはいけないからです。家族を養う身として、毎月収入を確保することは優先順位No1のことだからです。

今は違います。貯金と夫の仕事があるため、ゆっくり次の打ち手を考えることができています。そのおかげで「時間」という価値あるものを得ています。感謝です。

私は、フルタイムのバリバリの仕事人を経験しました。

子育てもやってきました。

つまり、自分の時間がありませんでした。会社でも家でもテキパキ、ザクザク仕事をこなさないといけませんでした。

だからちらかす子どもにイラっとし、片付けない夫にイラっとしていました。それは「仕事を増やす」ことだったからです。

夫は、「これくらいいいだろう」「きちっとしすぎて疲れる」と言っていました。

きれい好きの私は、ものが雑多にあるとイライラするので、片付けたがります。

でも夫は、何日か前に出したものはそのままそこに置きっぱなしにするタイプです。

それで私がカリカリとしていたのです。

イラつくのは当然と私に軍配を上げてくれる人もいると思いますが、

今、時間がとてもゆっくり流れる私がそのことを思い出すと「そんなにカリカリ言うことでもなかったな」と思うのです。きっと時間の流れが夫と私では全然違っていたんだと思います。

現状認識の差です。同じ家に住んでおきながら、やるべきことの見え方が全く違っていたのです。

私の頭には、あれもこれも、とやらないといけないことだらけ。

夫の頭には、やらないといけないことが、ない。

ぶつかるのも当然だし、妻だけがカリカリするのも当然です。

時間がない、ということはギスギスを生みます。

私の結論は、子育て中、お互いに共働きの夫婦は、よくよくすり合わせをしておかないと、だいたい不穏な空気が流れる、ということです。

それを解決しようとすると、ただでさえ忙しい毎日にもう一つ大きな課題をしょいこむことになります。

ときどき「子育て中は、だいたい夫婦は不仲になって、それが過ぎるとまた仲良くなれるらしいよ」とお互いに確認し合うことが最終的な手段です。

この不穏な空気をどうにかしないと、と思いながら仕事に家事に育児に、と生活するのはたまりません。それより、土台のところで「これは一時的なもの」という共通認識を持っていると、絆がプチンと切れることもないでしょう。

私は休日も規則正しく生活するタイプですが、昨日は目ざましをかけず、寝れるだけ寝てみました。

つまり、いつもの夫のようにふるまってみたのです。

そしたら・・・案外気持ちよかったです。

気持ちよく寝坊するために、やらなければならないことを前の晩に済ませていました。朝することがない状態にして精神的な準備もできていました。

私は共働きのとき、休みの日でも朝からやることが多かったので早起きして色々していました。それでも平気で9時10時まで寝ている夫にイライラして「休みでも9時には起きてきたら!?」と怒っていました。

夫は寝ないと駄目なタイプなんでしょう。忙しい妻にして、この夫はイラつくのも当然でしょう。

でも、実際に自分が好きなだけ寝てみて、夫の気持ちがわかった気がしました。

少なくとも「早く起きなさい」と言われることは好きなこと(寝ること)を妨害されて嫌な気持ちになるんだということはわかりました。

やっぱり分かり合うには、相手の気持ちになってみるのが大事です。

でも、相手の気持ちになるといっても、想像でしかないです。

お互いに忙しいと想像する時間もないです。

相手のやっていることを体験したら初めてしっかりわかります。

「思うより、やってみて」です。

私は朝寝坊をして夫の気持ちがわかりました。人に干渉しない心地よさも理解できました。

忙しいから早く起きて、と叱る妻だった私も否定しません。私はこんなに忙しいのに!と思うのは当然です。

相手も否定しない、過去の自分も否定しない。

ありのままを受け入れる、という感覚が50歳を目の前にしてわかりました。

相手を変えようとしない、という言葉は使い古されていますが、やっと私は「ああこのことか」と思えました。

人はぶつかり、学び、30歳になっても、40歳になっても、そのときどきでこのような小さな「そうか」を経験しながら生きていくんですね。

50歳、60歳も「そうか」を積み重ねていくんでしょう。

そうなると壁も悪くありません。

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