暇になると心配性がひどくなった

子育て
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仕事をしていたときは、帰りが遅いときもあり、子どもをほったらかしにせざるを得ませんでした。

それでも環境を変えることができず、「親がいない状態は子どものために悪いばかりではない。自立のきっかけになるし」と思うしかありませんでした。

それもあながち外れではなかったと思っています。

それが一転、今は専業主婦です。時間に余裕ができ、子どもが学校から帰ってくる時間におかえりと迎えることができる幸せを改めて感じます。

ただ、ひとつ困ったことがあります。一緒にいてあげられたり、してあげられることが増えたため、手をかけすぎるというか、心配ばかりするようになりました。

具体的に言うと、たとえば朝、寝坊した娘が「遅刻しそう。学校まで送って」と頼むことがあります。うちから学校まで歩いて5分もかかりません。私は一度は突き放しますが、バカじゃないのと思いながら送ったりしてしまいます。

頭をよぎるのは「もし、急いで学校に行って事故にでもあったら…」という、ナイナイ!と笑われそうなことなのです。

学校から娘が帰宅すると、無事に帰ってきたことにとても安心し、抱き締めたい思いにかられます。

おやつを食べて、お友達のうちに遊びに行くというと、途端にまた心配し始めるのです。

「冬だし帰りは薄暗い。薄暮が一番事故にあいやすい」

最近、小学生の子が自転車に乗っていて車とぶつかった事故があったばかりです。

娘が、あの交差点を渡るとき車にひかれたら、バランスを崩して車道に倒れたら、、、とにかくありとあらゆる何万分の一レベルの確率の最悪な事態を想像してしまうのです。

そんなときに限ってGPSアプリが精度が低く娘の居場所が交差点のど真ん中だったりするのです。

もしや、ひれたのでは!?

いてもたってもいられず車に乗り込んで現場に向かおうとして、向こうから平気な顔をして帰ってくる娘に出くわしました。

「心配しすぎた…」

と脱力します。

時間があればあるほど、子どもにしてやれることが増えれば増えるほど、心配の量が増えるのです。

送ってあげなかったから、私があい言ったから、、と後悔したくなくて、つい送ったりしてしまいます。

過保護なんですよね。

暇だといけません。

でも、愛の大きさと、失う怖さは

比例しますから、しょうがないことかもしれません。

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