私は昭和生まれです。両親は70代を超えています。
両親世代は、高度経済成長期で、男は外でバリバリ働き、女は家で専業主婦かパートが典型的でした。だから、家のことは女の仕事、という雰囲気が当然でした。
しかしながら、私の両親は自営業です。母は事務所で父の仕事をサポートしました。総務、経理です。父は母より1時間前に仕事に行き、帰宅は1時間ほど遅かったです。
でも、家事は100%母がやっていました。
なぜ?
幼心に疑問でした。
「お父さんはいいね!仕事して帰ってきたら、家ではな~んにもしないんだから!」
母は文句を言いながら、父が何かしてくれる希望なんてもっていませんでしたから、すべての家事を一人でこなしていました。
だからかもしれませんが、姉と私は小学校中学年ともなると母の手伝いを義務化されていました。
お皿洗い、車庫掃除、玄関掃除。
中学になると、義務化されなくても、夕食はときどき姉と私で作っていましたし、洗濯物も取り入れて畳み、アイロンもかけていました。
でも私はまた一つ、とても理解できないことがありました。
それは弟の役割です。
私は3人きょうだいの真ん中で、上に姉、下に弟がいます。
姉と私は色々と家のことをさせられていましたが弟は小学校高学年になっても一向に家事手伝いの役割がおりてきません。
私は言いました。
「弟だけ何もしないのはずるい!」
母は困って、やっとひとつ弟に家事手伝いの項目を与えました。
それは
新聞とり
〈へ?〉
夕方、玄関のポストに入っている新聞をもってくることだけです。
玄関から台所まで5メートルあるのかな。
私は猛烈に反発しました。
「私たちは掃除や皿洗いまで結構やれって言っていたのに、なんで弟はこんな簡単なやつなの?」
母はうまくはぐらかしていました。
何度もこのことで口論となり、私の決め台詞はこうでした。
「弟が家のことを何もしないまま大きくなって結婚したら、中年離婚されるよ!」
我ながら先を読んでいたなぁと感心します(笑)
だって今は、夫婦共々、仕事をするのが当たり前の世の中です。
昭和の「男は外で女は内」はどう考えたって無理があります。
それでも昭和世代に育てられ、昭和世代の両親の働き方を見てきた私たちは、言葉こそなくても染みついた「価値観」があります。
心のどこかで、男は外で仕事を本務とし、女は家のことをやる「べき」という、ぬぐい切れないものが染みついているのです。
幼いころから男女の役割の不平等に疑問をもち、大学院までそれを勉強した私ですら、です。
これを私は認めざるをえません。
私の性格なのかもしれませんが、夫が家事を率先してやる姿を描けないのです。
やってほしいとは思いますが、あまりにもされると心のどこかで「なんか可哀そう」と思う自分がいるのです。
外で全力を出し、家ではどーっと休む、を当然としている男に、家事をしてもらうのがなんか申し訳ない気持ちになるのです。
もちろん、私も外では全力ですが、家ではさらに全力です。
一般的に、共働きの子育て世代の女性はそうではないでしょうか。
気を抜く時間が少ない。
自分の時間もない。
疲弊するのは当たり前。
でも、夫が折半で家事をやる姿を想像はしても、実際にそうされるとなぜか感じる「申し訳ない」とか「可哀そう」の気持ち。
これってなんなんでしょう。
自分で認めたくない心の部分をこうして書き出すのはとても勇気がいります。
きっと自分の母親がそうしてきたし、なんでもこなす母を尊敬していたし、そんな母が好きだからこそ、違うことをする自分に軋轢を感じるのです。
でも私がそれをやったら、息子や娘はどうなるでしょう。
私は、将来の息子の彼女やお嫁さん、娘の彼や夫に対して責任を感じます。
私はずっと外で働いてきたので、「家のことはみんなでやるのが当たり前!」と口にして、家事分担が昭和にならないよう努めています。
ですが、うまくいかないところもたくさんです。結局私が料理をし、学校のことも私がやって、、、という昭和の夫婦モデルをしているからです。
でもそこは私たち世代で家の中の価値観を変える努力をすべきです。
夫が私と同じペースでそれを受け入れることは難しいので、やっぱり私がやることの方が多いのですが、せめて口では「家のことはみんなでするのが当たり前」を続けます。
息子には「あなたを育てるのは18歳まで。それまでに自分で生きていけるよう、掃除、洗濯、料理はできるようになっておいてね」と言って育てました。
家庭で日々行われる家事労働、親の口癖、そんなところをじわーっと変えていって初めて男女の役割も変わっていくでしょう。
昭和モデルの夫婦を両親にもつ世代の人は、自分の子育てでその価値観を断ち切ることが子どもの将来のためになります。
特に夫側。
家事分担に不満をもつ妻は非常に多いです。子どもができた後、自分だけ忙しすぎて嫌になって離婚する人も増えています。
自分の娘が、妻の夫(つまり自分)のようだと、娘は疲れませんか?
自分の息子が、家事育児に鈍感で、将来の妻から邪険に扱われたり、離婚されたりしてもいいのですか?
親は子どもに責任があります。
自分たち世代のぬぐえない価値観をぬぐい切るのが難しくても、せめて家庭では昭和の男女の役割を変えていきましょう。
、、とここまで熱く書いておいてなんですが、結局これって「思いやり」の一言につきると思うんです。
男が、女が、ってジェンダーを「学問」することに疲れた私がたどり着いた答えは「思いやり」
相手が疲れていたらそれを手助けする思いやりがあれば、家庭で一人だけが忙しいってことは起きないですよね。
男が、女が、といいだすと、ぶつかることもあるし素直にきけないこともあります。
ジェンダーうんぬんの前に「思いやり」
思いやりには想像力。
ここをキモにするとうまくいくはずです。
コメント