息子がだらしない?叱ったらもっとだらしなくなるかも

今日、小学校1年生の息子をもつママ友からラインがきました。

「息子のだらしなさにびっくりする」

と書いてありました。

私は返信しました。

「息子はだらしない生き物です。

だからといって叱っていると

整理整頓がもっときらいになるかも」

これは私の反省を込めて書きました。

息子はだらしなく整理整頓ができませんでした。

小学校に入ったらしっかりさせないと、

と思い、とにかく整理整頓と言い続けました。

その結果、整理整頓が苦手な子になってしまいました。

注意するたびに「ぼくは整理整頓ができない子」と刷り込んでしまっていたのです。

何かの本に書いてありました。

「子育てはそんなに難しくありません。

なぜなら、出来たところを褒めていけばよいからです。」

…そううまくいくばかりではないとは思いますが

一理あります。

私は自分の関心がないところや

自分に経験がない分野に関して

子どもが「これできたよ」

というと、

手放しに喜べました。

たとえば、野球でフライがとれたよ、と聞くと

去年までは全然できてなかったのにすごい進歩だね!

と一緒に喜べていました。

でも、公文で英語をしていたため

息子が学校の英語のテストで悪い点をとってきたら

なぜこんなとこ間違ったの?公文でやったじゃん

と、もっと伸びてほしいという気持ちから

高いハードルを息子に課してしまっていました。

私は英語が好きなのです。

その分英語に関しては少し熱量が高いのです。

それが災いしてしまいました。

今ならもっとうまく伸ばしてあげられたのになぁ、と悔やまれます。

点数が低くても、「ここはわかってるんやね!」と

できているところをもっと褒めてあげたらよかったな、と反省します。

ピアノもそうでした。

私自身がピアノをしていてとてもよかったので

息子にも同じ思いをさせてあげたいと強く思いすぎました。

だから、練習をまったくしないで次のレッスンにいくことを

許せませんでした。

結局息子はピアノから離れてしまいました。

5歳から習い始め、4年生までやりました。

ただ、なぜピアノをしたらよいのかを

自分の体験から話していたので、

中学になるとまたピアノがしたい、と言い出しました。

でも、ずっと習うのではなく

単発で習いたいといいました。

たとえば、この曲が弾けるようになるまで集中的に習う、

というようなことです。

息子は音楽の楽しさは知っていてくれました。

みんなの前ではやりの曲を弾くと

喜んでもらえる嬉しさに気が付いてくれました。

私自身、留学したときピアノに救われたことが何度もありました。

言葉がうまくしゃべれなくても

ピアノを弾けたら一目おいてくれて、仲良くなれたのです。

ピアノを弾ける子がいたら

ただすごいと思うだけではなく

そこにいたるまでの練習量や継続の努力を見ます。

一晩でうまくなる子はいませんから。

息子がピアノを再開したのは

すこし男の子らしい理由もあったようですが。

女子うけが良くなるらしいです。

それでもいいと思いました。

整理整頓は熱が入りすぎたため

「整理整頓がぼくはできないな」と思い込ませてしまいました。

英語は、出来ているところを見ずに

できなかったところをどうにかしようと思いすぎて

英語はおもしろくない、と思わせてしまいました。

ピアノは練習させることに熱をいれたあまり

弾く楽しさから遠ざけてしまいました。

でも、ピアノに関しては

戻ってきてくれました。

もしかして英語も整理整頓も

ある時点でやっぱり大事だと思ってくれるきっかけに出合うかもしれません。

でも、小さいころから苦手意識をもたせなかったら

もっと違っていたかもしれません。

後悔先に立たずですが、

私以外の若いお方には「後悔先に立たす」をしてもらいたいと願っています。

ちなみに、「後悔先に立たす」は私が思いついた言葉ですが

我ながら好きです。

先に後悔を想像させて

後悔しないようにしようよ、ってことです。

子育ては色々失敗はつきものですし

過去に戻ってやり直せません。

でも学びを止めずにいたら

うまくできることも必ず増えます。

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