女もつらいが男もつらい 男女の役割のパラダイムシフトの過渡期で私たちはもがいている

私は第二次ベビーブーム(1971-74年:昭和46-49年)に生まれた子どもです。

母は第一次ベビーブーム世代(1947-49年:昭和22-24年)。

私が大学を卒業するころ、時代が昭和から平成に変わりました。

つまり、母たちは昭和に生まれ、昭和で子育てが終わったといえます。

私たちはどうでしょう。

昭和世代に昭和の育てられ方をしましたが、子育ては平成と令和にまたがっています。

両親は、高度成長期の波にのって、仕事すればするほど稼げる時代を経験しました。

男が外で稼ぎ、女が家を守るのが当たり前の価値観の時代です。

語弊があるかもしれませんが、私は、そんな明確な役割分担のほうがよっぽど精神的に楽だったと思います。

なぜなら、今は、男も女も外で働き、女が家も守っているからです。

男も女も外で働き、男も女も家を守るパラダイムシフトの真っただ中。

そこに男女の性差(女は産む生き物)やジェンダー(女はこうあるべきなど)が絡み、ぶつかり合っています。

私は両方を経験しています。

結婚当初は夫も私も外でフルタイムで仕事をしていました。

そのうち夫が病気で仕事ができなくなりました。

昭和の親を見てきた夫は、苦しみました。

守るべき家族を自分が守っておらず、むしろ守られていることに悔しかったからです。

私はそうは望んでいなかったのに、外で働くことと家を守ることの両方をしなければならなくなりました。

ジェンダーを大学院で学んでいた私ですら、家のことを母がすべてやっていた家庭に育ちましたから、どこかに家は女がするもの、という観念が根付いていました。

私は家族を養うにたる収入を得つつ、家事育児のほとんどを背負いました。

当然、肉体的にも精神的にも無理がきます。

夫との衝突も増えました。

今離婚が増えているのも、理由の根底にこれがあると思います。

私が幼いころ、自転車に子どもをのせているのはお母さんたちで

お父さんがそうしているのを見たことがありません。

今は、お父さんがそうしているのを見かけても自然です。

見えない家事を見える化するのも、女性の重荷を言語化した流れです。

だんだん、少しずつですが、男性も家事育児に参画するようになりました。

ずーっと昔、男は筋肉を使って獲物を獲得していた時代、男性は肉体で強さを表すことができました。

昭和のころは、外で稼いでくることで男性は強さを表すことができました。

令和の今は?

男も女も外から獲物・稼ぎをとってくる時代です。

女性は産む、という生物的な性差から逃れられていません。

そういう意味で、女性が男性と同じ稼ぎを得てくるのは少し難しい期間をはらんでいます。

でも同じ時間と労働力を使って外に働きに出ています。

男も自分の強さや威厳を示す領域を必死に探しています。

それが稼ぎの差、です。

俺の方が稼いでいる、文句があるなら俺くらい稼いでから言え。

それは、強さを見せるのがそこしかない弱い男の言い分です。

令和の今、男が強さを見せられるとすれば

パラダイムシフトを受け入れ、家事育児を分担する行動力です。

それは何がそうさせるかというと、「相手への思いやり」です。

思いやり、それはやさしさです。

女は常に、力が強い男を好むのでしょうか。

ぐっとくるのはギャップ。

強いと思っていた男が、「私が助けてあげないと」と思わせる弱さを見せたとき

母性本能がくすぐられ、より愛するようになります。

男が力の強さを見せられる機会が激減した今、

やさしさと、母性本能をくすぐる弱さを併せ持つ男が最強。

そしてたまに、壁ドンとか野性的な男の部分を見せられたら生物的な性差としての男の魅力に魅せられます。

この分野は私の専門ですが、今小学校から娘が帰ってきて

後ろでマインクラフトしながら甲高い声で歌い、

ひっきりなしに話しかけてくるので、

本日はこれにておしまいとします。

集中が乱され、あとから読むと何を言っているんだという文章かもしれませんがこのままにしときます。

えへへ。

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