ついにきた。親を亡くす経験

楽になる考え

いつかはくるとわかっていた、親との別れ。2月に実父が83歳で亡くなりました。

色々な別れが人の数だけあるでしょうが、今思うことは「最高の別れだった」ということです。

なぜそう思うのか。

1、父が望む人生の幕引きだった。

常々、逝くときはぱあーっといきたい!介護など人の世話にはなりたくない!と言っていましたが、本当にその通りになりました。

いつも通り仕事をして、母の手作りの夕食を食べ、お風呂でさっぱりしてから、急に苦しくなり救急車で運ばれました。

そしてそのままICUで一週間過ごし、亡くなりました。

2、まわりに迷惑をかけなかった

その間色々な名義変更などの手続きができました。運ばれた病院はすべて個室のお高いところでしたが、父は個室にはいることなく、ICUで過ごしたので最低1日3万円の個室代がかかりませんでした。さらに、意識不明で食事もとらなかったし、着替えもなかったため、差額はゼロ円という驚異の結果に。最先端の治療をしてもらっておきながら、お支払いは9万円。

父が誇らしげに、「どうやー?俺すごいだろ?」と言っている気がしました。

3、遺された家族に納得する時間をくれた

父が病院に運ばれてから亡くなるまでの一週間の間に、危篤で呼び出されたのは3回。一回目はオロオロしながら、二回目は今度は本当に逝くか?と覚悟を決めながら、三回目は「お父さん、もう逝っていいよ!」と潔く

その間、私たちは父の車から父がいつも使っていた手帳を見つけていました。そこには、妻(私の母)や私たち子どもへの感謝のメッセージが綴られていました。自分史まで書いていました。そして「あと1、2年のうちにぱーっといきたい!」のメッセージも。日付は父が亡くなる1年半前でした。予言的中、有言実行ぶりにあっぱれ!

自分の会社を息子(私の弟)に譲り、子どもたちは皆独立して家族を持ち、思い残すことがない状態で旅立った父。私たちも、父がこの上ないタイミングで旅立ったと納得でき、悲しみより、「お疲れ様、ありがとう! の気持ちで送り出せました。

こんなお互いにブラボーな別れってあるんですね。

母のときはこうは行かないと思いますが。

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